無題
中学時代の同級生が結婚して、子供も産まれていた。
やんちゃで、よくケンカしては蹴ったり蹴られたりをするような同級生だった。
インスタグラムで数年ぶりに見たその姿は、顎髭なんか生やしてすっかり男らしくなっていて、中学生だった当時に道端でよく見かけた「大人」そのものだった。
結婚も出産も非常に目出度い。その投稿を見た瞬間は素直に「めでたいなあ、凄いなあ」と思った。けれど、それと同時に「私には無理だなあ、なりたくないなあ」と感じている自分がいることに酷く驚いて、哀しくなった。
私にも恋人がいる。今年の夏で付き合ってから2年になる。11歳年上の恋人が。
彼は今年36歳になる。私も今年25になる。年齢だけでいえば、そろそろ身を固めてもいい頃だろう。
でも私は、結婚はおろか子供が欲しいとは微塵も思えない。
彼に不満は無い。むしろいい父親になるタイプだろう。というか実際にバツイチで1児の父親だ。離婚こそしてしまったけど、彼のスマホの待ち受けは数年ずっと子供の寝顔だし、たまに会っては食事に行っているし、その度に息子の成長を喜ぶ様子が垣間見える。
彼には何にも落ち度がない。単純に、私自身の感情の問題なのだ。
人の親になれる気がしない。自分自身の面倒も見切れていないから。
自分の親に良いイメージを持てない。だから私が親になった姿を想像しても良いイメージにならないし、そもそも想像が出来ない。
でも同級生だった彼は、お嫁さんと子供を支える一家の大黒柱になった。
私と生きている年数は同じはずなのに、私は自分自身だけで精一杯なのに。
余裕のない自分に対してもだし、人の幸せを手放しに喜べない卑屈さに対してもだし、ひたすらに情けない。幼稚が過ぎると思った。
むしろ学生時代の方が精神的に大人だったかもしれない。あの頃は向上心があった。今は、進むのが怖いとすら思う。今のままではいたくない癖に、環境を変えることに抵抗を感じている。ジレンマだ。
もっと沢山のことを考えたいとは思っている。
世の中の情勢に詳しい大人とか格好いいからそうなりたい。
好きなことに一直線な大人とかキラキラしているからそうなりたい。
でも実際は、自分の嫌なところにしか目がいかないし、それをなるべく周囲に悟られないようにするのに必死だし、でも全然上手くいかなくて結局自己嫌悪。
世の中に上手く溶け込めない。取り残されていると感じる。上手に生きることが出来ない。苦しい。
自分にもっと余裕があったなら、子供だって欲しいと思えただろう。
結婚だってしたいと思えただろう。
余裕があったなら、もっと環境をより良くすることに注力できただろう。
今は、その場を凌ぐだけでも致命傷を負ってるようなものなんだ。
早く大人になりたい。実年齢と精神年齢を一致させたい。